「太陽と海の教室」鑑賞記: “先生” に対する違和感
今クールは、学校や教育がクローズアップされたドラマが多い。中でも僕が毎週楽しみにしているのが、フジ月9の「太陽と海の教室」。
今の学校教育を鑑みるに、勉学である程度の差をつけるのは個人的にはやむなしと思う。
現実的に自分のまわりを見るかぎりでは、そんな状況下で這い上がってきた人の方が大なり小なりパフォーマンスが高いからだ。
これはあくまで自分が経験してきたサラリーマン社会における確率論的な話なので、その辺は誤解なきよう。
実際に社会に出た立場から学校教育をみたとき、違和感を感じるのは教壇に立つ “先生” のポジショニング。
大多数の生徒は、これから資本主義社会の中で個人であれ組織人としてであれ、利潤を追求しながらメシを食っていくことになる。
それを念頭に置いたとき、一度も社会でもまれた経験のない人を、いきなり “先生” という “生徒” からみると上に立たれる立場で教育現場に投入してしまうのはどうなのか?というのが素朴な疑問だ。
受験のために勉強を教えるのは、今の教育制度のもとでは間違いではないと思う。
ただその目的だけをクローズアップするのではなく、その先に存在するであろう生徒たちの真の目的についても自らの経験の下に捉えて理解し、その上で教壇に立つ、というのが自然なかたちではないのだろうか?
そしてそれによって、教師の言葉にさらに重みが増すのではないのだろうか?
日頃このように感じている自分にとって、かつてのエリートサラリーマンが教師となり、教育の現場で新しいかたちで教鞭を振るうシーンが描かれている「太陽と海の教室」は、とても興味深いドラマだ。
例えば研修の一環として、人事交流といった名目で民間企業に何年間か勤務する、といった制度があったらどうなるだろう?
現実的には言うは易し動は難しかもしれないし、吉ではなく凶の方向に転ぶ可能性もあるだろうけど、そういう制度の下の教育というものを一度を見てみたいものだ。
それにしても北川景子、かわいすぎやで。
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